2009年12月27日
岩間の洞窟
いろいろと、事情があり昨日何故かいわきに居た
おじさんです。
そんな訳で、以前に昔の鮫川の話で紹介した
岩間の洞窟を40年ぶりに再確認へ行ってきました
谷間の奥が小浜海岸へ通じる洞窟のはず・・・
今もあるのか、胸は高鳴ります。
ちなみに、右手に見えるのは奥行き3mほどの穴で子供の頃は
押し寄せる波に身の危険を感じながら、磯場をへつっていったものです。
今は、歩いて簡単に行けます。
そして、本命の洞窟はっと・・・
お。まだ、あるようです・・・木立の奥に
幾度か崖が崩れたようで、だいぶ入り口の辺りの雰囲気は変わってます。
子供の頃はもっと、高いところにあった気がします。
在りました!
思ったより小さいのにびっくりです。もっと大きく感じてたのに・・・
この岬の岩肌に、鮫川の流れと海水がぶつかり合う
河口でした。
子供の頃の風景が蘇ってきます。
あそこに、漁船が沈んでて、あそこで釣りをした・・・
あそこで、良く大人の人が投網を打って・・・とか
そんな、ホッキのカラにこんな穴が(これはコタマ貝)
皆さんは、何の穴か解りますか?
これが解る方は、海で良く遊んだ方と思いますね。

Conquest(コンケスト) ヘルメットJR.
洞窟探検にはこんなヘルメットがいいと思う^^
おじさんです。
そんな訳で、以前に昔の鮫川の話で紹介した
岩間の洞窟を40年ぶりに再確認へ行ってきました
谷間の奥が小浜海岸へ通じる洞窟のはず・・・
今もあるのか、胸は高鳴ります。
ちなみに、右手に見えるのは奥行き3mほどの穴で子供の頃は
押し寄せる波に身の危険を感じながら、磯場をへつっていったものです。
今は、歩いて簡単に行けます。
そして、本命の洞窟はっと・・・
お。まだ、あるようです・・・木立の奥に
幾度か崖が崩れたようで、だいぶ入り口の辺りの雰囲気は変わってます。
子供の頃はもっと、高いところにあった気がします。
在りました!
思ったより小さいのにびっくりです。もっと大きく感じてたのに・・・
奥には、光が水に反射してます。
まだ、通じてるようです。
それとも、子供の時の記憶が違って、別のところへ抜けるのか・・・
確認したい気持ちは、膨らみましたが装備が無く、本日は入り口を確認したまでと
しました。どなたか、挑戦してみてください。
まだ、通じてるようです。
それとも、子供の時の記憶が違って、別のところへ抜けるのか・・・
確認したい気持ちは、膨らみましたが装備が無く、本日は入り口を確認したまでと
しました。どなたか、挑戦してみてください。
この岬の岩肌に、鮫川の流れと海水がぶつかり合う
河口でした。
子供の頃の風景が蘇ってきます。
あそこに、漁船が沈んでて、あそこで釣りをした・・・
あそこで、良く大人の人が投網を打って・・・とか
帰途、足元にはホッキの貝殻が・・・
散らばってます。
散らばってます。
そんな、ホッキのカラにこんな穴が(これはコタマ貝)
皆さんは、何の穴か解りますか?
これが解る方は、海で良く遊んだ方と思いますね。
では、次回の冒険を検討しつつ想い出を魚に酒でも飲みますかね^^

Conquest(コンケスト) ヘルメットJR.
洞窟探検にはこんなヘルメットがいいと思う^^
2009年12月01日
昔の鮫川の話 その4 岩間の洞窟
以前の鮫川の河口は
岩間の岬の壁面にぶつかるように海へ注いでました。
その壁面には、川の水面から2m程度上に洞窟が口を開けていました
その脇にやはり、壁面を削り取ったところに、石碑があったと思います。
この、この洞窟は、岩間から山を越えたところにある
小浜海岸へ続いていました。又、その先の照島海岸へも続いているということも聞きました。
私も1、2度 上級生に連れられて小浜海岸までは、いったことがありました。
洞窟というだけで、前日からかなり興奮して眠れなかったのを記憶しています。
洞窟の入り口は、高いところにあるので、流木が入り口のところに取り付けてあり
それを上って、入り口へ取り付くました。
小さかった私は、なかなか上れずに序上級生に助けてもらいました。
入り口に取り付くと、いよいよ洞窟に入っていきます。
当然中は真っ暗、足元には水がたまっていて、子供のひざしたlまでありました
夏なのにひんやりした感じにどきどきしました。
みんなの後に続いて、どんどん進んでいきますが
怖くて、半泣き状態でした
何とか、出口の明かりが見えた時には
本当にほっとしました。
こんな、冒険が出来洞窟が今、どうなったのかきになります。
この冒険からしばらくして、埋め立てる話を利いたような気もします。
今度、確認しに行ってみるつもりです。今もあるでしょうか楽しみです。

パナソニック(Panasonic) リチウムハイパワーLED防水ヘッドランプ
あの時こんなのがあれば怖くなかったかも・・・
岩間の岬の壁面にぶつかるように海へ注いでました。
その壁面には、川の水面から2m程度上に洞窟が口を開けていました
その脇にやはり、壁面を削り取ったところに、石碑があったと思います。
この、この洞窟は、岩間から山を越えたところにある
小浜海岸へ続いていました。又、その先の照島海岸へも続いているということも聞きました。
私も1、2度 上級生に連れられて小浜海岸までは、いったことがありました。
洞窟というだけで、前日からかなり興奮して眠れなかったのを記憶しています。
洞窟の入り口は、高いところにあるので、流木が入り口のところに取り付けてあり
それを上って、入り口へ取り付くました。
小さかった私は、なかなか上れずに序上級生に助けてもらいました。
入り口に取り付くと、いよいよ洞窟に入っていきます。
当然中は真っ暗、足元には水がたまっていて、子供のひざしたlまでありました
夏なのにひんやりした感じにどきどきしました。
みんなの後に続いて、どんどん進んでいきますが
怖くて、半泣き状態でした
何とか、出口の明かりが見えた時には
本当にほっとしました。
こんな、冒険が出来洞窟が今、どうなったのかきになります。
この冒険からしばらくして、埋め立てる話を利いたような気もします。
今度、確認しに行ってみるつもりです。今もあるでしょうか楽しみです。

パナソニック(Panasonic) リチウムハイパワーLED防水ヘッドランプ
あの時こんなのがあれば怖くなかったかも・・・
2009年11月28日
昔の鮫川の話 その3 干潟
今の河口がある辺りから下流は、昔の河口のあった岩間までには
大小の中洲がありました。
中洲は皆葦が生えて、その中には鳥が巣作りしていました。
川舟で魚を取る人たちは、この中洲周りにうなぎを取る仕掛け
浸し針やズを仕掛けていました。
また、今の河口から発電所の排水口のある辺りは
中洲の発電所側の内側に、干潟が出来干潮時は
蟹採り、蜆、アサリ採りができました。
そこには、餌を啄ばむ鳥たちも多く見られました。
子供のころの釣りは、まず、干潮時にここでゴカイを掘り
干潟に潮が満ちて来ると、そこは、ハゼやセイゴ、ボラ(スバと呼んでました)が
たくさん集まり、1本竿と呼ばれる竹ざおで堤防の上から、釣りをしてました。
この当時の堤防は、岸側からの高さは子供の胸辺りの高さでしたので
簡単に登ることができました。
(何故高くなったのかは、又別のお話で)
本当に生命感があふれる干潟でした。

キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) スチール剣形スコップ
こんなスコップで又、ゴカイ堀をしてハゼ釣りがしたい今日この頃
大小の中洲がありました。
中洲は皆葦が生えて、その中には鳥が巣作りしていました。
川舟で魚を取る人たちは、この中洲周りにうなぎを取る仕掛け
浸し針やズを仕掛けていました。
また、今の河口から発電所の排水口のある辺りは
中洲の発電所側の内側に、干潟が出来干潮時は
蟹採り、蜆、アサリ採りができました。
そこには、餌を啄ばむ鳥たちも多く見られました。
子供のころの釣りは、まず、干潮時にここでゴカイを掘り
干潟に潮が満ちて来ると、そこは、ハゼやセイゴ、ボラ(スバと呼んでました)が
たくさん集まり、1本竿と呼ばれる竹ざおで堤防の上から、釣りをしてました。
この当時の堤防は、岸側からの高さは子供の胸辺りの高さでしたので
簡単に登ることができました。
(何故高くなったのかは、又別のお話で)
本当に生命感があふれる干潟でした。

キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) スチール剣形スコップ
こんなスコップで又、ゴカイ堀をしてハゼ釣りがしたい今日この頃
2009年11月23日
帰らざる河・・・・!?
マリリンモンローが出演していた「帰らざる河」主題歌 River of NO Return
いいですね・・・ノイズも楽しんでください。
でも、映画の話ではありません。
おじさんが子供の頃のお話です。
小学生の頃、土曜の午後2時ごろから洋画の放送がありました。
この頃、土曜は午前中で学校は終わりでしたので、映画とこの後の
コンバットを見るのが楽しみで急いで帰ったものです。
そのTVの映画で見たのが、「帰らざる河」。
これを見たときからおじさんの、冒険計画が始まります。
この映画、インデアンに襲われた一家が激流の河を筏で下って逃げるのですが
それが、妙に少年だったおじさんの心を捕らえました。
それ以来、頭の中は筏を作ることばかり・・・
まずは割り箸で模型を作ってみたり と いろいろ試行錯誤
そんな日々が続いたある日
初夏の日差しが照りつけている、午後の校舎裏
たまたま、掃除当番が一緒の仲間3人へおじさんの冒険計画を打ち明けました。
話はあっという間にまとまり、今日の下校の時から
筏の材料探しが始まりました。
それと、どこの河を下るかの作戦会議をすることになりました。
まず、下るのは学校から1Kmほど離れた場所を流れる
渋川です。この川を1Kmほど下ると本流の鮫川へ出ます。
ここを下れば、海へ・・・・思いは膨らみます。
材料もなんと、渋川沿いの解体した家の材料が積み上げられている場所を見つけました。
当時この辺は区画整理が始まり、かなり家が移転したりしていました。
そして、いよいよ、筏作りへ入ってゆきます・・・
おじさんの指揮で材木が組み立て予定地に運ばれていきます。
太い柱を、6本組み合わせその上にベニア板を張り合わせました。
本当は、帆柱も立てたかったのですが、当時のバカなおじさんにはその方法も
技術も有りませんでした。
そんな訳で、毎日放課後作業をして1週間で筏は完成しました。
いよいよ、浸水の日
それは起こりました。 必ず教室にひとりは居る責任感の強い女の子
そんな子が、私達が廃材を持ち出し、筏を組み立てていることを
嗅ぎ付けました。そして、友人の一人が簡単な誘導尋問に引っかかり
計画のすべてを暴露されてしまったのです。
ホームルームの時間に(昔は反省会といった)報告されこれで終わりがと
思われたとき、主犯であるおじさんを先生が質問しました。
本当のことなのか?川へ出て筏に乗ってしまったのか?
おじさんは、本当のことではあるけれども、筏は作っただけで
川には浮かべてなく当然危険行為もしていないことを先生に話しました。
すると、なんとあっけないことに、筏をばらして元のところへ廃材を戻しなさい
と言われただけでした。
こんな事件も発生し、本来は一度浮かべてバランスや最大乗員数などを確認しておきたかったが
このままでは、計画自体が危ないと重い、一発勝負で川を下ることに決めました。
問題は川に浮かべた直後、少し上流の通学路の橋から丸見えになってしまうことでしたが
土曜の遅い時間午後2時ごろならば、同級生はみんな家に帰って人通りも少なくなる時に決行しました。
浮かべてみると思ったほど喫水線は高くなく、甲板ぎりぎりです。
4人が乗ると、甲板に少し水が上がってきますが、問題なく浮いています。
このときは、おじさんスゴイ感動で涙が出そうでした。
丁度前日の雨で水量もあり、川の流れだけでどんどん筏は下って行きます。
そして、今の旧6号国道のに架かる橋の下まで来た時に、浅瀬に乗り上げてしまいました。
座礁です。
一度皆筏を降りて筏を押して浅瀬をかわします。
その後順調にくだり、木製の小さな橋(渋川橋)が見えたとき
それは起こりました。
土手の上に、先生が数人こちらに向かって叫んでいます。
「戻りなさいそして、筏から降りるように」・・と
それで、この冒険はおしまい
その場に、筏は引き上げられ、おじさん達御バカちゃんは
先生に拳骨を4,5回貰い
いろいろと、怒られ・・・命の尊さなんかも教えられ
やっと、解放されて、家に帰ったのが夕方6時ごろだったと思います。
汚れた姿を見た母に、風呂へ行くように言われて風呂に行って
湯船に浸かっていると、何故か涙があふれて来ました。
それを見た近所のおじさんが不思議そうに
見ていたのを覚えています。
PS.引き上げられた筏がその後どうなったのか・・・これもまたおじさんの冒険だったのかも
そそろそろ、長岡へ戻る時間ですれは又、別の話・・・

メジャークラフト PEエボリューション PE-962M
今ほしいロッドこれです。ジギングにも使えるし、汎用性高いね。
2009年11月20日
昔の鮫川の話 その2 千本杭
鮫川の支流の渋川と合流するところで、川は河口に向かって
大きく右に曲がって流れています。
その水の勢いによって護岸が削れて行くのを防ぐために
川底へ杭を打ち、木の枝などを間へ入れ込むことで水の流れを
弱めていました。そんな護岸処理が行われていた場所が
通称、鮫川の千本杭です。
少し上流には植田町と錦町を結ぶ橋が架かっています。
昔は鮫川の渡しがあった場所です。
このころ、鮫川にはバイパスの橋はまだ無く、渋川へ架かる橋も
南署へ向かう植田橋は無く、旧6号国道のにかかる橋だけでした。
下流にあるのは、木製の人や自転車が通れる渋川橋だけでした。
*渋川橋は別な意味で思い出がある場所です。
それは又別の機会に・・・^^
ここは、いい釣りのポイントでした。
スズキ、コノシロ、鯉、ウナギ、ハゼ、鯰などが釣れました。
良く父に連れられてここで夜釣りをしたものです。
今でも、スズキなどを狙う人が多い場所です。
又、この近くにお社があり、その横、今の保育所がある辺りに
池があり、フナやクチボソなどが釣れ、ゲンゴロウやタガメを採った
記憶があります。(水カマキリだったかも)
夏には、この辺りの土手に生える川柳にカブト虫やクワガタがいて
早朝友達を出し抜くことができれば、たくさんの獲物を手にできました。
今では、杭に替わってコンクリートのブロックが
並ぶようになり、土手は草が短く刈り込まれ柳の木も
無くなり、夏に取れた虫たちも姿を消しました。
大きく右に曲がって流れています。
その水の勢いによって護岸が削れて行くのを防ぐために
川底へ杭を打ち、木の枝などを間へ入れ込むことで水の流れを
弱めていました。そんな護岸処理が行われていた場所が
通称、鮫川の千本杭です。
少し上流には植田町と錦町を結ぶ橋が架かっています。
昔は鮫川の渡しがあった場所です。
このころ、鮫川にはバイパスの橋はまだ無く、渋川へ架かる橋も
南署へ向かう植田橋は無く、旧6号国道のにかかる橋だけでした。
下流にあるのは、木製の人や自転車が通れる渋川橋だけでした。
*渋川橋は別な意味で思い出がある場所です。
それは又別の機会に・・・^^
ここは、いい釣りのポイントでした。
スズキ、コノシロ、鯉、ウナギ、ハゼ、鯰などが釣れました。
良く父に連れられてここで夜釣りをしたものです。
今でも、スズキなどを狙う人が多い場所です。
又、この近くにお社があり、その横、今の保育所がある辺りに
池があり、フナやクチボソなどが釣れ、ゲンゴロウやタガメを採った
記憶があります。(水カマキリだったかも)
夏には、この辺りの土手に生える川柳にカブト虫やクワガタがいて
早朝友達を出し抜くことができれば、たくさんの獲物を手にできました。
今では、杭に替わってコンクリートのブロックが
並ぶようになり、土手は草が短く刈り込まれ柳の木も
無くなり、夏に取れた虫たちも姿を消しました。
タグ :いわき
2009年11月18日
昔の鮫川の話 その1 白い砂浜
今回からおじさんが子供のころ
良く遊んでいた、いわき市南部を流れる川
鮫川下流部の話をしてみたいと
思います。
では、昔の鮫川の話 その1
おじさんの一番古い記憶にある鮫川は
(多分昭和41年ごろ)
昔、河口近く火力発電所の社宅の近く
菊浦という旅館に前辺りから土手をあがり、川へ降りると
周りを葦原に囲まれた、子供の目には広い砂浜でした。
(このころの河口はもっと下流の岩間で海に注いでました)
砂浜の奥には、菊浦旅館のものと思われる
漁具小屋があって、その後ろには防風林だった
松の木が数本ありました。
葦原の中からは、川鴫の鳴き声が響き渡る
そんな、夏の日に照らされて真っ白な砂浜でした。
浜から、川へ向かうと川の対岸には須加の砂州が見えて
左右は、水の中までせり出して背の低い葦が生えていました。
川舟がいつも数艘川に浮かんで網で何かを取っている風景が
記憶にあります。
ここで、良く釣りをしたり砂遊びをしたりして遊んだものです。
この場所は、今の河口堤防がある場所で海に向かって
左側の、今はあまり使われなくなった発電所の排水口の辺りです。
もう、昔の面影はまったくなくなってしまいました。
良く遊んでいた、いわき市南部を流れる川
鮫川下流部の話をしてみたいと
思います。
では、昔の鮫川の話 その1
おじさんの一番古い記憶にある鮫川は
(多分昭和41年ごろ)
昔、河口近く火力発電所の社宅の近く
菊浦という旅館に前辺りから土手をあがり、川へ降りると
周りを葦原に囲まれた、子供の目には広い砂浜でした。
(このころの河口はもっと下流の岩間で海に注いでました)
砂浜の奥には、菊浦旅館のものと思われる
漁具小屋があって、その後ろには防風林だった
松の木が数本ありました。
葦原の中からは、川鴫の鳴き声が響き渡る
そんな、夏の日に照らされて真っ白な砂浜でした。
浜から、川へ向かうと川の対岸には須加の砂州が見えて
左右は、水の中までせり出して背の低い葦が生えていました。
川舟がいつも数艘川に浮かんで網で何かを取っている風景が
記憶にあります。
ここで、良く釣りをしたり砂遊びをしたりして遊んだものです。
この場所は、今の河口堤防がある場所で海に向かって
左側の、今はあまり使われなくなった発電所の排水口の辺りです。
もう、昔の面影はまったくなくなってしまいました。