帰らざる河・・・・!?

おじさん

2009年11月23日 15:29



マリリンモンローが出演していた「帰らざる河」主題歌 River of NO Return
いいですね・・・ノイズも楽しんでください。

でも、映画の話ではありません。

おじさんが子供の頃のお話です。




小学生の頃、土曜の午後2時ごろから洋画の放送がありました。
この頃、土曜は午前中で学校は終わりでしたので、映画とこの後の
コンバットを見るのが楽しみで急いで帰ったものです。

そのTVの映画で見たのが、「帰らざる河」。
これを見たときからおじさんの、冒険計画が始まります。
この映画、インデアンに襲われた一家が激流の河を筏で下って逃げるのですが
それが、妙に少年だったおじさんの心を捕らえました。

それ以来、頭の中は筏を作ることばかり・・・

まずは割り箸で模型を作ってみたり と いろいろ試行錯誤


そんな日々が続いたある日
初夏の日差しが照りつけている、午後の校舎裏
たまたま、掃除当番が一緒の仲間3人へおじさんの冒険計画を打ち明けました。

話はあっという間にまとまり、今日の下校の時から
筏の材料探しが始まりました。
それと、どこの河を下るかの作戦会議をすることになりました。


まず、下るのは学校から1Kmほど離れた場所を流れる
渋川です。この川を1Kmほど下ると本流の鮫川へ出ます。
ここを下れば、海へ・・・・思いは膨らみます。


材料もなんと、渋川沿いの解体した家の材料が積み上げられている場所を見つけました。
当時この辺は区画整理が始まり、かなり家が移転したりしていました。



そして、いよいよ、筏作りへ入ってゆきます・・・

おじさんの指揮で材木が組み立て予定地に運ばれていきます。
太い柱を、6本組み合わせその上にベニア板を張り合わせました。
本当は、帆柱も立てたかったのですが、当時のバカなおじさんにはその方法も
技術も有りませんでした。

そんな訳で、毎日放課後作業をして1週間で筏は完成しました。

いよいよ、浸水の日

それは起こりました。 必ず教室にひとりは居る責任感の強い女の子

そんな子が、私達が廃材を持ち出し、筏を組み立てていることを
嗅ぎ付けました。そして、友人の一人が簡単な誘導尋問に引っかかり
計画のすべてを暴露されてしまったのです。
ホームルームの時間に(昔は反省会といった)報告されこれで終わりがと
思われたとき、主犯であるおじさんを先生が質問しました。

本当のことなのか?川へ出て筏に乗ってしまったのか?

おじさんは、本当のことではあるけれども、筏は作っただけで
川には浮かべてなく当然危険行為もしていないことを先生に話しました。

すると、なんとあっけないことに、筏をばらして元のところへ廃材を戻しなさい
と言われただけでした。

こんな事件も発生し、本来は一度浮かべてバランスや最大乗員数などを確認しておきたかったが
このままでは、計画自体が危ないと重い、一発勝負で川を下ることに決めました。


問題は川に浮かべた直後、少し上流の通学路の橋から丸見えになってしまうことでしたが
土曜の遅い時間午後2時ごろならば、同級生はみんな家に帰って人通りも少なくなる時に決行しました。


浮かべてみると思ったほど喫水線は高くなく、甲板ぎりぎりです。
4人が乗ると、甲板に少し水が上がってきますが、問題なく浮いています。
このときは、おじさんスゴイ感動で涙が出そうでした。


丁度前日の雨で水量もあり、川の流れだけでどんどん筏は下って行きます。
そして、今の旧6号国道のに架かる橋の下まで来た時に、浅瀬に乗り上げてしまいました。
座礁です。

一度皆筏を降りて筏を押して浅瀬をかわします。

その後順調にくだり、木製の小さな橋(渋川橋)が見えたとき
それは起こりました。

土手の上に、先生が数人こちらに向かって叫んでいます。

「戻りなさいそして、筏から降りるように」・・と


それで、この冒険はおしまい

その場に、筏は引き上げられ、おじさん達御バカちゃんは
先生に拳骨を4,5回貰い
いろいろと、怒られ・・・命の尊さなんかも教えられ

やっと、解放されて、家に帰ったのが夕方6時ごろだったと思います。

汚れた姿を見た母に、風呂へ行くように言われて風呂に行って
湯船に浸かっていると、何故か涙があふれて来ました。

それを見た近所のおじさんが不思議そうに
見ていたのを覚えています。




PS.引き上げられた筏がその後どうなったのか・・・これもまたおじさんの冒険だったのかも
 そそろそろ、長岡へ戻る時間ですれは又、別の話・・・


メジャークラフト PEエボリューション PE-962M

今ほしいロッドこれです。ジギングにも使えるし、汎用性高いね。


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